辛抱強いベイスターズファン
今年は優勝候補ともいわれる横浜DeNAベイスターズ。
近年はAクラス入りの常連になったが、ひと昔前は本当に弱かった。
ただ、ファンは成績に関係なく昔から行儀よく、忍耐強い。
コロナ禍で入場者を最大5千人に制限した横浜スタジアムを見ていても分かる。
サヨナラ弾などよほどのことがない限り、ファンは声を出さずに拍手だけで応援している。
阪神が攻撃中は声を上げているトラファンとは大違いだ。
辛抱強いベイスターズファンの気質を考えてみた。
「横浜銀行」と揶揄されても耐えてきた
ベイスターズは、1980年前後から「横浜(大洋)銀行」と揶揄されてきた。
川崎からホームを横浜に移した横浜大洋ホーエルズの時代だ。
地銀の雄「横浜銀行」とは無関係。
対戦すれば貯金を増やせる、借金を返済できるチームとみなされていたからだ。
とにかく、投打ともチーム力は弱かった。
例えば、1981年の戦績は42勝80敗8引き分け。
首位巨人とは31・5ゲーム差の断トツの最下位だった。
まれにAクラス入りしたことはあったが、ほぼ毎年Bクラスに。
それでもファンはねばり強く応援し続けた。
まさに「耐えがたきを耐え忍び難きをしのび」だ。
「涙くんさよなら」を歌って連帯
かつて、ベイスターズ(ホエールズ)ファンに愛されていた歌があった。
「涙くんさよなら」。
連敗したときなどに、よくスタンドで歌った。
♪涙くんさよなら
♪さよなら涙くん
♪また、会う日まで。
心優しいファンの間に連帯感を生んでいた。
ファンは負けが混んでもヤジをとばさず、監督を攻めなかった。
その気質は、チーム力が高まった現在も変わらない。
監督には名将を迎える時代が続いた
かつてベイスターズは監督に名将を迎える時代が続いた。
1960~1970年代の三原修、別当薫。
80年代に入ると広島カープを初めて優勝に導いた古葉竹識(たけし)も。
2001年には西部の黄金時代を築いた森祇晶(まさあき)まで招いた。
実現はしなかったが、長嶋茂雄をスカウトしたこともあった。
でも、プロ野球史に残る実績を残した名将でもベイスターズでは苦戦した。
優勝できたのは、三原監督(1960年)と権藤博監督(1998年)の2度だけだ。
優勝回数1位の巨人の37回はともかく、5位の阪神の5回の半分以下だ。
いくら名将でもチーム力がなければ、長いペナントで結果は出せなかった。
2012年にDeNAが親会社になってからチームは変わった。
マシンガン打線と呼ばれた1998年当時には及ばないが、投打の力は底上げされている。
Aクラス入りはほぼ確実に狙える戦力だ。
横浜スタジアム(浜スタ)の観客動員数は順調に伸びている。
コロナ禍でスタンドに集うファンをみていると思う。
出したい声を抑えて、拍手やタオルなどだけで必死に応援している。
これまでのチーム史を考えると、ファンが行儀よく忍耐強いのはうなずける。(トホホ)
まとめ
横浜ベイスターズのファンは行儀がよく、忍耐強い |
かつてのホエールズは弱かった |
「横浜銀行」と揶揄されてきた時代もあった |
チームが連敗してもファンは「涙くんさよなら」を歌って連帯した |
監督には名将を呼んだが、ほとんど結果は出なかった |
この弱小チームだった時代から忍耐強いファンの気質は引き継がれている |